仕事が出来なくなったあの日1

メロンソーダ社会・トレンド

いつもはお金のことや米国株投資のことばかり書いているが、今までの人生でかなり大きな出来事について書き殴りたいと思う。

この出来事は、その後のお金の話や投資に繋がるので、サラリーマンになりたてのひとや、まだ若い人は是非読んで頂きたい。

これまでも少し書いたブログはあるが、30代後半の時に会社が大きく変革した。今までの典型的な日本の企業とは違って、利益も重要視する方針でいわゆるトップダウンである。

とある部署から、それなりに優秀な人たちが集められプロジェクトのリーダーに抜擢された。職位は課長と同等。

よく覚えていないが、給与も額面で35万円程度だったと記憶するが、一気に53万円にもなった。タイミングが良かったのでわずか半年足らずでだ。

その代わり新しい組織であり、経営陣との節目の会議では、コテンパンにやられるリーダーの人たち。

バタバタと倒れ、他の部署に移動する人、会社を去る人、鬱になって休業する人。はっきり言って、狂気の沙汰。

合計、40-50人は潰れた。

今までが生温い会社だったからなのか分からない。でも、人を人と思わない経営には憎しみしか湧かない。

自分で言うのもなんだが、昔から優等生だった私は会議のプレゼンに社長が気に入るであろう技術的な提案、原価低減案件を織り込んだ。

それが、実際にはかなり困難であってもだ。「この原価低減をすればコストがこれだけ下がって、利益がこれだけ上がります」みたいな感じでプレゼンした。

この社長は日本人ではあるがとてもとてもとてもとても厳しい人で、会議室の空気が凍り付くというのはこういうことか・・・と今でも忘れない。

1週間前からプレゼンの準備をスタートし、何度も何度も見直した。チームメンバーも本当に頑張ってくれたと思う。

プレゼン終了後に褒められたこともあった。私にはないが、完全パワハラで大声で罵倒することもあった。

プロジェクト数が増え、1日に3プロジェクトのプレゼンもしなければならず、計画を立てた時に、部署のトップにプロジェクト数を減らすように懇願したが、受け入れてもらえなかった。

その経営陣とのプレゼンの2週間ほど前に、専門チームによる技術的な監査のようなものもあった。全ての用件に対する必要書類は他の部署から貰う必要があったが、温度差は認めざるを得ない。

期日までに来ないのだ。監査する側も経営陣直轄で監視されているようなものなので、執拗にリーダーに繰り返し、繰り返し進捗状況を聞く。

板挟みである。

それまでそこそこの成績で高校、大学と進み、一部上場企業に就職し、会社内の評価もよく、同期の中では出世も早かった。

自信満々で完璧主義であり、挫折したことがなかった。

自分の力ではどうしようもない。他人がやらないことには前に進まない。そんな日々が過ぎていた。

(つづく)

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